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Nihongo Mayo

調査の経緯

更新日:4月4日



※本稿および当ウェブサイトで論じる内容は一般的に日本語教育界隈に存在している問題であり、その啓発・改善を目的としています。特定の個人への攻撃を主旨とするものではありません。

※この投稿は接待業に従事する方を非難するものではなく、その利用客やその運営者の態度について問うものです。


この調査は2023年春、とある男性日本語教師が、「語学教師はキャバ嬢を目指せ!」というタイトルのブログ・ツイートを公開したことを発端とし実施したものです。


このブログタイトルを見た瞬間、そもそも、すでに日本語教師をしてきた中でハラスメントや性差別的発言を受けたことがあるのに、そういった嫌がらせを更に日常的に受けていることが容易に想像できる職業を「目指せ」と言われたことに対して怒りが込み上げました。


ブログやツイッターの閲覧数稼ぎのためとはいえ、こういったタイトルを「面白い」「キャッチー」ととらえ、気軽につけてしまえる、彼の優位的な立場に、接待業従事者的な扱いを学習者や同僚から受けたことが無い、その痛みや怒りを想像できない彼の態度に腹が立ちました。


この発言を受け、また、発言の問題点を気軽に指摘できない雰囲気があったことを受け、日本語教育現場でのハラスメント・差別被害や加害の実態を調査し、それらを防ぐ資料を作ることを目的にこの本調査を実施しました。


ブログは削除され、ブログ本文そのもののスクリーンショットなどの保存も無いため記憶をたどっての内容となり、実際の記述と若干の相違はあることをご了承ください。また、繰り返しとなりますが本ブログは日本語教育業界に一般にある問題についての啓発を目的とし、特定の個人の攻撃を意図するものではありません。


問題となったブログの内容


Chat-GPTの登場を受け、今後の日本語教師像について考察するブログを発端とし始まったものです。


ブログ(および関連ツイート)の主張は以下のものだったと記憶しています。


  1. 生成AIの登場を受け、学習者の求める知識を与えるという教師の役割はとって変わられるため、今後の語学教師に求められる役割は、日頃、対価を払ってでも身近な話題を共有したくなるような相手、になるのではないか、つまりそれは「キャバ嬢」ではないか。

  2. 語学教師は、知識を授ける、という高貴な立場を失う


また、その後、他の教師より「キャバ嬢」という例えが不適切である、と指摘を受け、ブログタイトルを「ホスト」に変更するなど、まったく問題を理解していない行動が見受けられました。


主張1「語学教師はキャバ嬢を目指せ」について



キャバクラ嬢および類似の接待業は、性的・経済的・社会的に不均衡な力関係下で、ハラスメント・差別・暴力が発生しやすいものであると理解しています。


客からの嫌がらせ・差別・暴力に耐えながら笑顔を保ち、感情労働を強いられています。



「高価な報酬を得られるコミュニケーションスキル」との主張がなされていましたが、こういった不均衡な関係下で行われる、顧客を気持ちよくさせることが目的のコミュニケーションはは日本語教師・学習者間で目指される関係ではありません。 また、いち言語学習者としての立場として、教師に感情労働者として振る舞ってほしいとは考えません。


そもそも、風俗接待業に足繁く通う客は、まったく下心なく純粋にコミュニケーションのみを目的として高額な対価を支払っているのでしょうか。 接待業従事者たちは業務時間外も顧客との頻繁なコミュニケーションや客との外出、擬似的な恋愛関係を演出することが求められています。



主張2「教師は高貴な立場を失う」について



このブログ主は、知人と教師のあり方像について会話していたときに「それってキャバ嬢じゃね?」と言われたことをきっかけとして、この問題となった投稿を書いたとのことでした。


これは私の憶測に過ぎませんが、教師という尊敬されるべき立場であると彼が自負している立ち位置から、接待業従事者に比喩されるという大きなコントラストに、彼の中でショックを感じたのではないでしょうか。


教師って高貴なのでしょうか。


私個人の経験の話になりますが、一番楽しかった言語学習の思い出は海外の語学学校に通っていたときのものです。


クラスの教師ソフィアは、クラス皆のよき友人であり(成人クラス)、学習者一人ひとりによく目を配っていて、言語に関する疑問だけではなく何でも気軽に話せる雰囲気がありました。(ここはブログ主の主張と重なりますが)


しかし、ソフィアは一定の境界線を学習者達との間にキープしていたことをはっきり覚えています。教師と学習者の間に、お互いを成人として尊重・信頼する気持ちがあり、単なる馴れ合いのような関係ではありませんでした。


クラスメイトたちも真剣で雰囲気が良く、ピアー*としてちゃんと機能していて、その当時(2012年頃)ですら教師は高貴な知識の伝達者というよりは場のファシリテーター*として役割を発揮していたことを記憶しています。


*ピア・ラーニング: 学習者がピア(仲間)同士で小さなグループをつくり、互いに協力しながら学ぶ学習方法。(コトバンク)

*ファシリテーター: テーマ・議題に沿って発言内容を整理し、発言者が偏らないよう、順調に進行するように口添えする役。議長と違い、決定権を持たない。 (コトバンク)



一方、私がホームステイ先のホストマザーと問題を抱えたときは、ソフィアは心からの心配はしてくれたものの、問題の解決自体は学校の管理部が担当してくれました。つまり、自身の仕事の領域をはっきりと決め、言語教育の場面のみ彼女は担当していました。


  • 高貴な教師、というと仙人あるいは村の長老のようなイメージで、何か聞きたくても聞きにくい、間違っていても指摘できないイメージがあります。

  • 接待業従事者であればその逆で、こちらに誤りがあったとしても、あちらはそうだね、すごいね、と褒めて気持ちよくしてくれることででしょう。

  • そしてソフィアがもしも親→子のように学習者を扱う教師であれば、私が問題を抱えたら何から何まで面倒をみてくれたと思うのです。


このどれでもない、お互いに信頼があり、友好的で、かつ一定の境界は守れるような横向きの関係が、健全なコミュニケーションの場を管理する職業人として理想的なのではないかと私は考えます。


仮に知識伝達という役割が完全にまるっきり既に生成AIに奪われていたとしても、そのような対人コミュニケーションスキルや、クラスルームの運営能力向上、学習者同士のよい雰囲気の醸成、パーソナリティー別の最適な学習支援方法、学習者の文化的バックグラウンド理解など、ソフィアのような教師になるために学んでみたいスキルはたくさんあります。



最後に


2020年文化庁調査によると、日本語教育機関では女性の雇用がどの機関でも70%以上を占めています*1。


日本語教師の雇用形態としてはどの機関でも非常勤が65%以上を占めています*2。


*2 同資料 P7 より引用


性差別は性別・ジェンダーにより限定されるものではありませんが、現代日本で社会的に強いとは言えない人々が日本語教師の大半を占めていると言えるでしょう。


我々があらゆる差別・ハラスメントに敏感になり、被害・加害の双方を防止するきっかけとなる活動とすることができればと考えます。調査にご協力頂いた皆様、どうもありがとうございました。


基本的に1人で行っている活動であり、牛の歩みとなることをご理解いただければ幸いでございます。


皆様の素敵な教育活動を願って

管理人

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